おつきあい

2006年1月4日 友達
正月3が日が終わった。

わが家は、私の実家で元旦を過ごした他はほぼ普段どおりのお休み。特に気を使う親戚もなく?ホントは気を使わなくちゃいけないのかな?

久しぶりに友人達とのおしゃべりを楽しんできた。
で。思ったこと。

結婚してもう20年以上経つ主婦達だけど、いまだにダンナの親戚の悪口をいう嫁。これはいただけません。
よその家と比べる物でもなく、自分の親戚と比べる物でもないと思うのです。

私はいたらない嫁ですが主人や親戚の悪口を友人達に話す事はありません。親しくても身内の恥ですから。

聴いている人が同情することより、気分を害する事の方が多いと分かりました。
悪口を言う友人がすごく嫌な人に見えました。特にお金のことを話題にするのは嫌ですね。言い方は古いかもしれませんがはしたないです。私も気をつけないと。
朝の雪には参りました。
丁度出勤しようとしていたところだったので、車で行くかどうか悩みましたが、結局車を出しました。帰りははれていたので良かったですが、ちょっとの坂道でもスリップしたり転倒したりするバイクを見かけて本当に怖かったです。

仕事が終わって美容院に駆けつけカラーリング。
年末シーズンなのでここも込んでいて予定より30分近くオーバー。

跳んで帰って、晩ご飯の支度をして大急ぎで着替えていざ忘年会へ。

今回の忘年会は、来年開かれる卒業30周年の高校の同窓会の幹事会を兼ねているというので、どうしても出席する羽目に。

でも出席してみると、結構楽しい物です。
知っている顔はほとんどいないと思っていたのに、小学校の同級生が4人もいて、昔話に花が咲きました。

昔の面影が残っている人もいれば、全く別人になっちゃった人もいて結構30年の時の重みはすごいです。

意外にも私は小学生の時から、今のような顔立ちをしていたらしく。すぐにクロワッサンだと分かってもらえて良かったです。
中には、すぐに本人だとは認めてもらえず、高校時代のアルバムを見て、「ああ、この人なら知ってた」と言われて大いにへこむ同級生もいました。(笑)

同じテーブルに座ったのが、中学の時のブラスバンド部で一緒だったSさん。顔も性格も本当に変わらなくて30年ぶりなのに、本当に親しくおしゃべりさせていただいて懐かしかったです。

来年7月に行う同窓会に向けて何回か集まる予定だそうですが、同じ学校で学んだとはいえ、もう30年も別々の人生を歩んできた人たち、また仲よくなるためには新しい人間関係を作る必要があります。

最近かたよりがちのわたしの人間関係に新しい広がりが有ることを願って、誠実に付き合って行こうと思います。

むかし、むかし

2005年9月17日 友達
学生時代に、唯一付き合っていたBFが一人ありました。
結構仲よくお互いのサークル活動を通じて交友がありました。

彼は、今思うとすごく良い人で、私のことも大事にしてくれていたのだけどそのころ20歳の私は彼の良さに気がつきませんでした。
彼の思いが、ちょっと重すぎてそれに応えられるだけの自信がなくて自然消滅しました。

さっき、ネットで彼の名前を検索してみたら、なんとビンゴで写真まで出てきました。
某国立大学付属中学のPTAの活動を紹介するHPでした。
名前が少し珍しいので間違いないと思います。

彼の出身地と近いし、間違いなく彼でしょう。
彼のまめな性格、面倒見の良さがこの活動にも現れていると思ってしまいました。
彼は、学生時代音楽系サークルの部長さんでした。
決して、外見がかっこいいと言うわけでは有りませんでしたが、人望が有ったのは、20歳の頃からでした。

良いお父さんしているのでしょうね。
今後も出会うことはないと思いますが、過ぎし日の学生時代に思いをはせて、彼にそっとエールを送ります。

今もきっと音楽を続けているだろうね。

寂しいな

2005年9月12日 友達
長くこの日記でリンクしていた方が有りました。
今日、見たらHNが消えていました。

4月から日記の更新は有りませんでしたが、密かに読んでくださっているのかなと、いつかまた縁があるのかなと思っていました。

きっとお忙しい仕事の方ですから、もうここへは帰ってこられないのでしょうね。残念です。

袖振り合うも多生の縁。お仕事頑張って下さい。
もう読んではいないでしょうけど・・・・。
友人と東京見物に出かけた。
朝から伊丹空港に出かけ羽田から天王洲アイルにあるホテルへ直行。

午後は二人でお台場のFテレビを見学。
夕方お台場のカフェで関東在住の同級生二人と合流。
プチ同窓会となった。

東京の新名所お台場でレインボーブリッジと東京タワーを眺めながら食事をした。
抜群のロケーションで4人が集まり、女だけの気楽な集まり。
4人のうち専業主婦は、ついに一人だけになった。
あとは、料理教室の講師、歯科医院のパート、3月から仕事を始めたばかりのNさんは、今まで専業主婦だったけれど高校の同窓会の幹事をしたことから仕事を見つけたらしい。

学校を卒業してすぐに結婚したNさんは専業主婦から月に10日ほどはたらくマネージャーになった。
仕事は面白いらしい。
25年間専業主婦していても、きっかけと意欲さえあれば仕事は始められるのだ。それは私も同じだ。

きっかけは同窓会。
人生いろいろあります。
偶然にもばらとかすみそうの花束をお二人からいただきました。

何気なく見ていた台所のカレンダーの絵もばらとかすみ草でした。

添えられた言葉は「ばらのように美しく、かすみ草のようにやさしく」でした。

「ばらのように美しく、かすみ草のようにやさしく」なりたいと願うのは高望みでしょうか?
4年ぶりに子ども達が幼稚園からの友人家族が、海外から一時帰国したので、子ども達を連れて会いに出掛けた。

子ども達はそれぞれに大きくなり、高校生が4人、中学生が一人。
3家族が集まり、にぎやかな夕食をともにした。

積もる話は山ほど有るが、4時間ほどでは話しきれないほどだった。でもいいのよね。
それぞれが頑張って子育てしてきたことが一目で分かった。

娘?が学校の合唱コンクールで伴奏した曲を披露すると、ピアノ教師だった友人はビックリしていた。

母親3人は、同じ歳生まれ。
でも子育てのやり方は、似てるようで全く違う。
それでも友人同士でいられるのは、お互いのやり方を尊重しているからだと思う。
子ども達は、自分の母親とは違う親を見ていろいろ感じたらしい。

末っ子の娘?にとってはけっこうカルチャーショックだったらしい。ピアノの伴奏に突然のレクチャーが入ったからだ。
私は、娘の勉強やピアノの練習にはあまり口出しない母親らしい。

私は3人の子どもの母親だけど、末っ子の頑張りには本当に心から
尊敬している。彼女は所謂努力家なのだ。
娘は「頑張れ」と言われなくても頑張ってしまう子どもだから、敢えて言っていない。
娘は、周りが見ている程中身は強くないと私は知っているから。

帰りに娘に聞いてみた。
「もっとお母さんが、○○くんのお母さんのように頑張れって言った方が良いかな?」
「ううん、お母さんに言われなくてもそれなりに自分で頑張るから」

そうだね。お母さんは貴女のこと信じてるよ。

フレンチの日

2004年11月13日 友達
東京近郊に住んでいる友人が、里帰りしているので会うことになった。もう一人の友人を誘って。

土曜日の元町でまちあわせ。
さすがに震災の街も10年が経ち、人も戻り始めたのか年末商戦がもう始まっているのか人出が多い。

前日から予約していたフレンチのランチを頂く。
メニューが難しく、予想していたものとは少し違っていたけど、
結構美味しく頂く。

3人は高校時代の同級生。3人とも大学生や高校生の親になっている。東京で最近しばしば催されている高校の同級生の近況を
友人Yさんより聞く。ここでも高校時代の恥ずかしい過去が私の印象を大きくしていることを知った(恥)

みんな(特に男性)は40を半ばも過ぎ管理職や社長になっている人もいるらしい。
それに比べ、私たちは思うようにならない子育てに四苦八苦している。今後は親世代の老後問題が必ずややってくると予想できる。
自分たちの体も以前に比べて(若いときと)無理がきかなくっなっている。何だかなあ。

でも10年後、彼らが役職を離れた頃にまた出会ってみたい。
ずーっと役職や地位とは縁の無かった私たちと同じ立場になったときに。それまで自分磨きを頑張らなくっちゃ。
主婦って自分で自由になる時間やつきあいが多いだけに、だらだら過ごしたりしてなーんも身に付かないままワガママ放題の老人になる可能性も有るからね。素敵に年を重ねるのは難しい。

友達

2004年10月10日 友達
久しぶりに友人と近所でお茶を飲んだ。
高校生からのつきあい。この数年年に数回会って、お互いのグチやら悩みやらを聞き会う関係。

共に、子育ての悩みが深い。
ため息ばかりが出てきてしまった。
一方ばかりだと、聞くのも話すのも疲れるけど。
二人とも、子どもの年齢こそ違え悩みは共通。

最後には、あんまり心配しても親が何とかできるのはごく一部と
割り切って、二人で来春旅行に行こうという話になった。
行き先は、某隣国。
今から計画して来年の春休み頃、実行する予定。
半年も先のことだけれど、楽しみは先の方が今の大変さを乗り切るエネルギーになるから。
絶対いくぞ〜〜〜。

それまでに、言葉も少し覚えなくちゃ。
歌を聴いてるだけでは、字が読めないもの。
頑張りましょ。

秘密日記

2004年9月2日 友達
Fruitsさんへ

同期会

2004年8月16日 友達
同期会に行ってきました。
ああ眠たい。
完全に睡眠不足。

テニス3時間。
会食2時間。
カラオケ2時間。
おしゃべり4時間。

おひらきになったのが夜中2時。

その後眠れるわけが有りません。
人に酔ってしまった。
お酒を一杯飲んだわけでも無いのに眠れないのは
普段会ってない友達に会ってお喋りしすぎたせいです。

お泊まりしたのは結局6人。
とっても楽しい会でした。

次回は、再来年ぐらいかな。

同期会

2004年8月14日 友達
これから、午後に高校の同期会に参加します。
テニス部の集まり。
私は、テニス今はしてないし今日もしない予定。
よって、6時からの会食から参加。

もう5年も続いている集まり。
女性の参加者はいつも6人くらい。
男性も同じか少し多いこともある。

何のしがらみもない同級生ばかりが集まってテニスして、
飲んで喋って夜を過ごします。
40代になってこんな健康的な集まりは珍しい。

私が、この集まりを大切にしているのは、自分に磨きを掛ける
リトマス試験紙みたいな物だから。
毎日365日間、どんな生活をしてきたかが現れるから。

男性は、社会人としてそれなりの評価がある年代。
一方女性は、子育ての時代があらかた過ぎ自分探しの年代に
入ってきている。
自分の生き方や考え方が問われる年代。

今更だけど、同じ高校時代を過ごした仲間だけど、その後の人生はずいぶん違って来てるのよね。
でも、みんなそれぞれ自分の立場で努力している。

私も頑張らなくっちゃって思えるから参加する。
女性は肩書きとか全くないから、中身が勝負です。
「いい女になったなあ」って思わせたい。
でも特定の人はいません。決して(笑)
報告は、又明日ね。

同級生

2004年6月8日 友達
ボランテイアでストーリーテリングをするために小学校に行ってきた。

2時間目から、4時間目まで3年生と一緒に過ごした。
その後給食を頂き、1時から3時半まで、ボランテイアの勉強会でメンバーのストーリーテリングを8話ほど聞いた。

そのあと、小学校で図書の担当をしている先生方の集まりに
参加させて貰った。
女性の先生ばかり30名ほど。

その集まりに、どこかで見たことのある顔が2、3人
話を聞きながら、古い記憶を呼び戻す。
メモに私の旧姓を書いて渡してみる。

やっぱりそうだった。
高校の同級生。
しかも同じクラスだった人。

会が終了してから、改めて挨拶した。
なんと卒業して30年近くが経っている。
町ですれ違っただけなら分からなかったけれど、
1時間半ばかり、一緒にいたから分かった。

向こうは、25年近く学校の先生をしているキャリアウーマン。
こちらは、ボランテイアのオバサン。
でも、自分の活動をしっかり話せたから満足。
彼女たちの頑張りに私たちもも期待している。

今日は、修学旅行の失敗についてはあえて触れませんでした(笑)

メール友だち

2004年5月17日 友達
一人だけ、以前から知っている人でメールでのおつきあいを続けていた人がいました。
はじめは、PCのメールで。
ところが、お互いメールでの本音が出せなくて、
ただ読むのがしんどいだけの、独りよがりのメールが行ったり来たり、もちろん相手と私の立場が全く違うし、今の共通の話題が、子どもの教育についてだけだったのです。
それも、Aさんとは教育に関してもだいぶん考えが違っていた。

そのうち、携帯でメールをやりとりするようになって,
メールが短くなると、本音が見えてくるようになった。
私も、言いたいことを言うようになった。
どんどんエスカレートして、家族でも言い合わない様なことを
Aさんはメールで送ってきて、わたしは何故、Aさんに言われなくちゃいけないのか?何度もそんなことが繰り返されて、結局
Aさんには、私が憤慨している事が通じなくてばかばかしくなって
メールを止めました。
最初は、アドレスを消しただけでしたが、
最近私のアドレスを代えたので、もうメールが届くことはないでしょう。

きっと、Aさんはメールで自己アピールをしたいだけだったんだと気が付きました。
メールをやりとりすることで、知らないことがわかったり、お互いプラスの影響を与え合うと言うことはありませんでした。

家族のことでいろいろトラブルを抱えていたので、私なりにアドバイスを書いてみたりしたけど、Aさんは変わりませんでした。
人の意見に耳を傾けると言う態度がほとんどなかった。
ひたすら、自分以外の人間(家族)の批判ばかりでした。
要するに自己弁護。Aさんは気が付いていない。
私は、Aさんのカウンセラーではないのだから、聞いてばかりは
いられない。

結局、私はAさんとの関わりを捨てたわけです。
こうやって、知らないうちにうちに友達をなくしていくんでしょうね。
これは、自分にも当てはまることだから、気をつけなくっちゃ。