プチ同窓会2日目。
ホテルで目覚めた二人は、スニーカーとウオーキングシューズを履いていざTDSに出動。
TDS2回目のK子に付いていく初めてのクロワッサン。
お天気は、曇り空。
ほどほどの気温でまずまず。
アトラクション五つとショーを3回みて大満足の一日。
お互い子供を連れていないので、保護者という立場を忘れて童心に戻って楽しんだ一日。
開園から閉園までたっぷり楽しめた。
さすがに足はくたくた、目はしょぼしょぼしてきたけれど。
この次は娘達をつれて来る予定。
ホテルで目覚めた二人は、スニーカーとウオーキングシューズを履いていざTDSに出動。
TDS2回目のK子に付いていく初めてのクロワッサン。
お天気は、曇り空。
ほどほどの気温でまずまず。
アトラクション五つとショーを3回みて大満足の一日。
お互い子供を連れていないので、保護者という立場を忘れて童心に戻って楽しんだ一日。
開園から閉園までたっぷり楽しめた。
さすがに足はくたくた、目はしょぼしょぼしてきたけれど。
この次は娘達をつれて来る予定。
ロンドン ヒスロー空港での再会
2005年2月14日 旅行パリのシャルルドゴール空港を出発して、ロンドンで乗り継ぐためにヒスロー空港へ降りる。エアフランスがおくれて出発したため乗り継ぎ時間が1時間ほどしかない。
ヒスロー空港は広くて、エアフランスを降りたところから、JALの乗り場までとお〜〜〜い。
ひたすら歩く。
途中免税店の近くに各航空会社の発発券カウンターがあり、AN○の制服を見つける。そうだ私のいとこはロンドンのAN○で働いているのだった。カウンターに座っている日本人に声をかけてみる。「○○さんはいますか?私彼女のいとこの○○子ですが」
すぐに彼女と電話で連絡してくれた。
彼女とは10才も年が違うし、特に親しいというわけではなかったが、彼女の母親と私の母が姉妹で、彼女の母親が10年前に亡くなったあと、母がなにかと心をくばっているのでロンドンから娘達を連れて日本に帰る度に母を訪ねてくれている。
彼女は、私がパリに来ていることなど全く知らなかったし、
私も、ヒスロー空港に降りるまで会うことを考えていたわけではなかった。でもせっかく1時間でもこの空港に降りたのだから会って行こうということになったのだ。
しばらくして制服姿の○○さんが出てきた。会うのは2年ぶりぐらいか?早速大阪弁丸出しで会話が始まる。
連れてきた娘?は彼女のことをあまり知らないが紹介する。
○○さんは娘のことを覚えていて、「おおっきくなったねえ」と
関西弁でまくし立てる。時間が無いのでJALの搭乗口まで歩きながらしゃべる。彼女も突然の親戚の登場でビックリしただろう。ずーっとしゃべり詰めだった。私たちも時間が無いのでまた日本で出会うことを約束して別れた。出会ってから別れるまで15分足らずの再会だった。
こんな事なら、日本からお土産を用意してくれば良かったのだが。
とにかくフランスで遊ぶことばかりに夢中だったのでロンドンの彼女のことが思い出せなかったのだった。
安いツアーで1週間前に席が確保されたので無理もないけど。
この次は、イギリスを訪ねて彼女の家族に会いに来よう。
娘達二人は、私の娘と同じ年頃。去年の夏にも出会ったばかりだ。
なんだかとても遠いと思っていたロンドンが近くに感じられた。
親戚が住んでいるって事は、地球が急に狭く感じられる。
ヒスロー空港は広くて、エアフランスを降りたところから、JALの乗り場までとお〜〜〜い。
ひたすら歩く。
途中免税店の近くに各航空会社の発発券カウンターがあり、AN○の制服を見つける。そうだ私のいとこはロンドンのAN○で働いているのだった。カウンターに座っている日本人に声をかけてみる。「○○さんはいますか?私彼女のいとこの○○子ですが」
すぐに彼女と電話で連絡してくれた。
彼女とは10才も年が違うし、特に親しいというわけではなかったが、彼女の母親と私の母が姉妹で、彼女の母親が10年前に亡くなったあと、母がなにかと心をくばっているのでロンドンから娘達を連れて日本に帰る度に母を訪ねてくれている。
彼女は、私がパリに来ていることなど全く知らなかったし、
私も、ヒスロー空港に降りるまで会うことを考えていたわけではなかった。でもせっかく1時間でもこの空港に降りたのだから会って行こうということになったのだ。
しばらくして制服姿の○○さんが出てきた。会うのは2年ぶりぐらいか?早速大阪弁丸出しで会話が始まる。
連れてきた娘?は彼女のことをあまり知らないが紹介する。
○○さんは娘のことを覚えていて、「おおっきくなったねえ」と
関西弁でまくし立てる。時間が無いのでJALの搭乗口まで歩きながらしゃべる。彼女も突然の親戚の登場でビックリしただろう。ずーっとしゃべり詰めだった。私たちも時間が無いのでまた日本で出会うことを約束して別れた。出会ってから別れるまで15分足らずの再会だった。
こんな事なら、日本からお土産を用意してくれば良かったのだが。
とにかくフランスで遊ぶことばかりに夢中だったのでロンドンの彼女のことが思い出せなかったのだった。
安いツアーで1週間前に席が確保されたので無理もないけど。
この次は、イギリスを訪ねて彼女の家族に会いに来よう。
娘達二人は、私の娘と同じ年頃。去年の夏にも出会ったばかりだ。
なんだかとても遠いと思っていたロンドンが近くに感じられた。
親戚が住んでいるって事は、地球が急に狭く感じられる。
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今日でパリを後にするわけだが、空港への迎えのバスが来るのは昼1時なので、それまでオペラ地区に出掛けておみやげの買い物をすることにした。ところがユーロを使いすぎた私たちは日本円を両替しなければならない。
娘のカードでキャッシングを何度か試みるが、上手く行かない。
そこで銀行を探して両替をしてもらうことにする。
有名なラファイエットデパートの向かいにある、ソサイテ・ジェネラルに一歩足を踏み入れてびっくり。駅のコンコースほどもあるホールのような建物の中に銀行のカウンターがあった。
入り口には、長身のガードマンが立っていて私たちを案内してくれた。両替コーナーにいくと中年の男性がが結構ラフなスタイルで仕事をしていた。2万円をユーロに両替する。レートは余りよくなかったが、大理石のカウンター、モザイク張りの床など、建物全てが美術品のような銀行で両替することが出来て満足。
今日は月曜日。仕事をしている人達をすこしでも見られてよかった。
デパートの中にある、松坂屋の売店に行き、日本語でお買い物。
その後、モノプリというスーパーマーケットでのんびりお土産にする食料品。チョコレートやチーズ、キャンデイ、ハーブテイのテイーバックなどを買い込む。あまりかさばらず、値段が安く、重くないを考えるとなんだかありふれた食料品ばかりだ。
でもスーパーは、気楽に買い物ができて安全でよかった。
ゆっくり商品を手にとって中身を確かめることが出来るから。
チーズの棚は、日本の肉売り場ぐらいのスペースがあり、チーズだけで100種類ぐらい有るだろう。ココでは試食が出来ないのでおそるおそる色んな種類のチーズをすこしづつ買い求める。
スパーのかごいっぱい買い物して35EURぐらいだった。
デパートのチョコレートは一箱10EURぐらいはしていたから絶対お買い得。
しこたま買い物をしたので、最後のランチをすることにした。
だが結局お店を探すのが面倒なので、2日目にランチを食べたカフェに行き別のモノを注文する。ランチには早い時間だったので店は空いているが、なかなか注文したモノが出てこなかった。
今日は、ミネラルの代わりにコーラを注文する。
娘のカードでキャッシングを何度か試みるが、上手く行かない。
そこで銀行を探して両替をしてもらうことにする。
有名なラファイエットデパートの向かいにある、ソサイテ・ジェネラルに一歩足を踏み入れてびっくり。駅のコンコースほどもあるホールのような建物の中に銀行のカウンターがあった。
入り口には、長身のガードマンが立っていて私たちを案内してくれた。両替コーナーにいくと中年の男性がが結構ラフなスタイルで仕事をしていた。2万円をユーロに両替する。レートは余りよくなかったが、大理石のカウンター、モザイク張りの床など、建物全てが美術品のような銀行で両替することが出来て満足。
今日は月曜日。仕事をしている人達をすこしでも見られてよかった。
デパートの中にある、松坂屋の売店に行き、日本語でお買い物。
その後、モノプリというスーパーマーケットでのんびりお土産にする食料品。チョコレートやチーズ、キャンデイ、ハーブテイのテイーバックなどを買い込む。あまりかさばらず、値段が安く、重くないを考えるとなんだかありふれた食料品ばかりだ。
でもスーパーは、気楽に買い物ができて安全でよかった。
ゆっくり商品を手にとって中身を確かめることが出来るから。
チーズの棚は、日本の肉売り場ぐらいのスペースがあり、チーズだけで100種類ぐらい有るだろう。ココでは試食が出来ないのでおそるおそる色んな種類のチーズをすこしづつ買い求める。
スパーのかごいっぱい買い物して35EURぐらいだった。
デパートのチョコレートは一箱10EURぐらいはしていたから絶対お買い得。
しこたま買い物をしたので、最後のランチをすることにした。
だが結局お店を探すのが面倒なので、2日目にランチを食べたカフェに行き別のモノを注文する。ランチには早い時間だったので店は空いているが、なかなか注文したモノが出てこなかった。
今日は、ミネラルの代わりにコーラを注文する。
ベルサイユ宮殿からパリ市内に戻って、まだ時間があるので凱旋門を見学することにした。パリもみぞれ交じりの雨模様。
トッテモ寒い中凱旋門の中の階段を昇る。狭くて細い螺旋階段。
一体何段有るのだろう。上には進めるが途中おりたくなっても下へは戻れない。凱旋門のてっぺんに来て外に出る。凄い風、冷たい雨。
確かに、凱旋門から伸びる放射状の道路が、幾何学的で綺麗だ。
凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩くことにした。
今日は日曜日で、家族連れや若い人達がたくさん歩いてウィンドウショッピングを楽しんでいる。
何カ所が映画館があり、チケット売り場に列が出来ていた。
中で、宮崎駿のアニメ「もののけ姫」の看板があった。
日本のアニメは世界的に有名らしい。
本屋でも日本のアニメ本が並んでいた。
ここはカトリック教徒が多いお国柄、日曜日は教会へ行くため、
お店やデパートも一斉休日。
その代わり、マルシェや映画館がにぎわっているのだろう。
カフェにも多くの人だかりが出来ていた。
娘とコスメショップを覗く。
メーキャップにもお国柄があるのかと興味津々。
真っ黒なマスカラの宣伝ポスターが貼られていることに驚く。
ブロンドの女性は、マツゲも眉毛もブロンドの筈なのだが、
マツゲを黒く塗っている人を沢山見かけた。
マツゲを黒くする方が目が大きく見えるらしい。
所謂、パンダメイクをしている若い女のこをよく見かけた。
パンダメイクは、パリ発なのか?それとも日本が最初なのか?
通りに面したPOULのパン屋さんでパンを買う。
ここシャンゼリゼ通りを歩いているのは、地元パリっ子が多いのか、今日は観光客らしい団体に余り出会わない。
大きなCDショップに潜入。
スーパーマーケットのようなスペースにCD、DVD、などがとにかく沢山置かれていた。クラシック、ポップス、民族音楽、何でもある。
ワールドミュージックのコーナーでは、レゲエ、アフリカ音楽、アジア系音楽などもある。
中に、日本のお琴、尺八、さらにはお経もあった。(お経は音楽か?)日本のアーチストのCDは見つけられなかった。
値段も6EURから、20EURと幅があり、同じクラシックのピアノ曲のCDでもアーチストによって値段が違っていた。
今売れ筋の人気ピアニストは高くて、新人らしきピアニストはその半分ぐらいだった。結構シビアですね。
ここでは、観るだけ、聞くだけでCDを買わなかった。
クレジットカードさえ有れば、結構良いお土産になりそうなCDが有ったのだけど。残念。
外に出るともう辺りは暗い。
そこで思い立って、コンコルド広場へ地下鉄で行く。
コンコルド広場から、灯りのともったエッフェル塔を眺める。
灯りが点滅していてとても綺麗。
お土産に買ったピンバッチと同じ光り方をしている。
東京タワーのライトアップとは全く違う。
なんか得した気分。夜景も少しづつ楽しめたし。今日も一日よく遊びました。
トッテモ寒い中凱旋門の中の階段を昇る。狭くて細い螺旋階段。
一体何段有るのだろう。上には進めるが途中おりたくなっても下へは戻れない。凱旋門のてっぺんに来て外に出る。凄い風、冷たい雨。
確かに、凱旋門から伸びる放射状の道路が、幾何学的で綺麗だ。
凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩くことにした。
今日は日曜日で、家族連れや若い人達がたくさん歩いてウィンドウショッピングを楽しんでいる。
何カ所が映画館があり、チケット売り場に列が出来ていた。
中で、宮崎駿のアニメ「もののけ姫」の看板があった。
日本のアニメは世界的に有名らしい。
本屋でも日本のアニメ本が並んでいた。
ここはカトリック教徒が多いお国柄、日曜日は教会へ行くため、
お店やデパートも一斉休日。
その代わり、マルシェや映画館がにぎわっているのだろう。
カフェにも多くの人だかりが出来ていた。
娘とコスメショップを覗く。
メーキャップにもお国柄があるのかと興味津々。
真っ黒なマスカラの宣伝ポスターが貼られていることに驚く。
ブロンドの女性は、マツゲも眉毛もブロンドの筈なのだが、
マツゲを黒く塗っている人を沢山見かけた。
マツゲを黒くする方が目が大きく見えるらしい。
所謂、パンダメイクをしている若い女のこをよく見かけた。
パンダメイクは、パリ発なのか?それとも日本が最初なのか?
通りに面したPOULのパン屋さんでパンを買う。
ここシャンゼリゼ通りを歩いているのは、地元パリっ子が多いのか、今日は観光客らしい団体に余り出会わない。
大きなCDショップに潜入。
スーパーマーケットのようなスペースにCD、DVD、などがとにかく沢山置かれていた。クラシック、ポップス、民族音楽、何でもある。
ワールドミュージックのコーナーでは、レゲエ、アフリカ音楽、アジア系音楽などもある。
中に、日本のお琴、尺八、さらにはお経もあった。(お経は音楽か?)日本のアーチストのCDは見つけられなかった。
値段も6EURから、20EURと幅があり、同じクラシックのピアノ曲のCDでもアーチストによって値段が違っていた。
今売れ筋の人気ピアニストは高くて、新人らしきピアニストはその半分ぐらいだった。結構シビアですね。
ここでは、観るだけ、聞くだけでCDを買わなかった。
クレジットカードさえ有れば、結構良いお土産になりそうなCDが有ったのだけど。残念。
外に出るともう辺りは暗い。
そこで思い立って、コンコルド広場へ地下鉄で行く。
コンコルド広場から、灯りのともったエッフェル塔を眺める。
灯りが点滅していてとても綺麗。
お土産に買ったピンバッチと同じ光り方をしている。
東京タワーのライトアップとは全く違う。
なんか得した気分。夜景も少しづつ楽しめたし。今日も一日よく遊びました。
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ベルサイユ宮殿へ行こう!
2005年2月13日 旅行フランスでの観光3日目。
今日は日曜日なので、デパートやレストランはお休み。
美術館や教会は開いているので、ベルサイユに行くことに。
ツアー大嫌いの娘と一緒なので、またメトロでサンラザール駅へ向かう。
サンラザール駅でベルサイユ行きの列車を探すため、案内所にいく。英語で訪ねるとちゃんと英語で教えてくれた。フランス人は英語がしゃべれないというのは
若い人には当てはまらないらしい。地下鉄の中には、NOVAやジオスのような英会話教室の広告がでかでかと貼ってあった。
”Can you speak English?"てね。
フランス人も英語で苦労しているのかと思うと妙に安心する。
駅の構内にちいさな本屋さんがあったので、娘と冷やかす。
ゴシップ満載の週刊誌には、イギリス皇太子のチャールズとカミラさんの写真がでかでか載っていた。
雑誌コーナーでは、とても人前では広げられない大衆誌もいっぱいあった。
絵本の値段をみると、一冊8EURから10EUR。日本円で
1100円から、1500円。日本で買うのと変わらない。
地上を走るフランスの国鉄にのり、ベルサイユに向かう。
とことことことゆっくり走るローカル線だ。
料金は3.3EUR。500円たらず。
ベルサイユへのオプショナルツアーは50EURだったから、絶対電車の方がお得だ。乗客も少なく30分ほどでベルサイユへ到着。
駅から、15分ほどなだらかな坂を登って宮殿に到着。
途中、マルシェに遭遇したが、荷物が重くなるので購入を断念。
帰りに寄るつもりだった。ここでも日本語で、話しかけられた。「あじみどうですか」って。
ベルサイユ宮殿の正面に到着。
石畳を歩くのは結構大変。馬車でこの上を通るのも決して楽ではないだろう。
入り口で、手荷物の検査を受けてチケットを購入。
ここで日本語のパンフレットと音声ガイドを貸して貰う。
まずは、ルイ14世が早くになくした自分の息子と妻のために造った礼拝堂から見学。
もうあり得ないような豪華さ。
歴代の王妃が公開出産したというベッドや、マリー・アントワネットらの肖像画を眺めながら豪華絢爛は部屋を通り抜けていく。
圧巻はやっぱり鏡の間。ただ修復中とあって一部しか公開されていなかったのが残念だった。
ここで国王や王妃の謁見や晩餐会、舞踏会が開かれていたのかと
歴史に思いを馳せる。でも長いフランスの歴史の中では250年ほど前のことにすぎないのだけれど。
高校生の頃、連載漫画「ベルサイユのばら」に夢中になり、それに続く宝塚ブームに巻き込まれた少女時代を思い出し、まさか自分がその舞台となったベルサイユに足を運ぼうとは思わなかった。
でも不思議なものだ。たった8EURで東洋人のオバサンも宮廷に足を踏み入れることが出来るようになったのだから。
フランス革命を起こした当時のフランス民衆に感謝しなくては。
残念ながら、このころベルサイユは天候が悪くなり、雷が鳴りはじめ小雨があられに変わってしまった。
庭園やプチトリアノンなどを観ることは断念した。
食事がまだだったので宮廷近くのカフェでランチをすることにした。
今日は日曜日なので、デパートやレストランはお休み。
美術館や教会は開いているので、ベルサイユに行くことに。
ツアー大嫌いの娘と一緒なので、またメトロでサンラザール駅へ向かう。
サンラザール駅でベルサイユ行きの列車を探すため、案内所にいく。英語で訪ねるとちゃんと英語で教えてくれた。フランス人は英語がしゃべれないというのは
若い人には当てはまらないらしい。地下鉄の中には、NOVAやジオスのような英会話教室の広告がでかでかと貼ってあった。
”Can you speak English?"てね。
フランス人も英語で苦労しているのかと思うと妙に安心する。
駅の構内にちいさな本屋さんがあったので、娘と冷やかす。
ゴシップ満載の週刊誌には、イギリス皇太子のチャールズとカミラさんの写真がでかでか載っていた。
雑誌コーナーでは、とても人前では広げられない大衆誌もいっぱいあった。
絵本の値段をみると、一冊8EURから10EUR。日本円で
1100円から、1500円。日本で買うのと変わらない。
地上を走るフランスの国鉄にのり、ベルサイユに向かう。
とことことことゆっくり走るローカル線だ。
料金は3.3EUR。500円たらず。
ベルサイユへのオプショナルツアーは50EURだったから、絶対電車の方がお得だ。乗客も少なく30分ほどでベルサイユへ到着。
駅から、15分ほどなだらかな坂を登って宮殿に到着。
途中、マルシェに遭遇したが、荷物が重くなるので購入を断念。
帰りに寄るつもりだった。ここでも日本語で、話しかけられた。「あじみどうですか」って。
ベルサイユ宮殿の正面に到着。
石畳を歩くのは結構大変。馬車でこの上を通るのも決して楽ではないだろう。
入り口で、手荷物の検査を受けてチケットを購入。
ここで日本語のパンフレットと音声ガイドを貸して貰う。
まずは、ルイ14世が早くになくした自分の息子と妻のために造った礼拝堂から見学。
もうあり得ないような豪華さ。
歴代の王妃が公開出産したというベッドや、マリー・アントワネットらの肖像画を眺めながら豪華絢爛は部屋を通り抜けていく。
圧巻はやっぱり鏡の間。ただ修復中とあって一部しか公開されていなかったのが残念だった。
ここで国王や王妃の謁見や晩餐会、舞踏会が開かれていたのかと
歴史に思いを馳せる。でも長いフランスの歴史の中では250年ほど前のことにすぎないのだけれど。
高校生の頃、連載漫画「ベルサイユのばら」に夢中になり、それに続く宝塚ブームに巻き込まれた少女時代を思い出し、まさか自分がその舞台となったベルサイユに足を運ぼうとは思わなかった。
でも不思議なものだ。たった8EURで東洋人のオバサンも宮廷に足を踏み入れることが出来るようになったのだから。
フランス革命を起こした当時のフランス民衆に感謝しなくては。
残念ながら、このころベルサイユは天候が悪くなり、雷が鳴りはじめ小雨があられに変わってしまった。
庭園やプチトリアノンなどを観ることは断念した。
食事がまだだったので宮廷近くのカフェでランチをすることにした。
初体験 パリ名物 すり
2005年2月12日 旅行エッフェル塔見学を終えて、マドレーヌ寺院までタクシーに乗りました。タクシーを降りて土曜日の午後パリの人や観光客でにぎあうロワイヤル通りをウィンドウショッピングをしていました。
有名な時計店や宝飾店が並ぶ通りです。通りの反対側には有名なレストランマキシムも見えています。横断歩道を渡って通りの反対側もうろうろ歩いて、ちょっと小じゃれた食器屋さんなどを見て歩いていました。お店の中はそんなに混み合ってはいませんでした。
ぐるっと一回りしてタクシーを降りたケンゾーの店あたりに戻った頃、はっと気がつきました。ショルダーバックのファスナーが開いているのに。慌てて中身を確認。
やっぱりありません。カード2枚と日本円2万円と40EURがはいった古ぼけた私の財布が・・・・・。
やられました。タクシーを降りるときは財布を持っていましたから、その後バックのファスナーを閉め忘れたに違い有りません。
パリのすりに持って行かれちゃいました。このとき午後5時頃です。全く気がつきませんでした。
こうなるとカードの盗難届けをカード会社に出さなくてはなりません。公衆電話を探しましたがなかなかみつかりません。
近くにあるパリ三越の建物に入り、電話をかけました。
そして国際電話で盗難届けを出しました。電話で英語をしゃべるなんてどうしようもうどきどきもの。
でも日本の事務所に繋がったので日本語で対応して貰いました。
さいわい、念のためにとカードNO.とパスポートNO.を手帳にメモしておいたのが役に立ちました。
パスポートが盗まれたらもっと手続きが煩雑だった様で、財布だけだったのが不幸中のさいわいでした。
カードを2枚持っていたため、もう1件電話をかけるがなかなか繋がらない。公衆電話の傍の三越の店員さんに事情を話し、電話をかけて貰う。これもなかなか繋がらない。
結局トラブル対応をして下さるオフィスの日本人のところへいき、電話をかけて貰った。
やっと繋がって2枚目のカードをキャンセル。これで一安心。
警察に盗難届けを出すように勧められたが、外はもう暮ており安心したのかお腹もすいていたので、警察ではなくレストランを探すことにしました。
さいわい外貨は、娘と半分づつ持っており娘はまだ外貨を殆ど使っていなかったので食事するぐらいは十分持っていた。
トッテモお腹がすいていたので、イタリアンレストランでパスタを注文した。
パリには、観光客を狙ったすりが多いと聞いていたが、まさか自分が被害に遭うとは思っていなかった。
よっぽどお上りさんの東洋人に見えたんでしょうね。
現金2万円と40EURは、惜しいけれど仕方有りません。
自分のまぬけさをカバーするための授業料として諦めることにしました。
日本人で2万円ぐらいを財布に入れている人は主婦だって少なくないと思いますが、フランス人の平均所持金は10〜20EURというから2万円は140EUR以上ですから大金ですよね。
それだけここはカード社会。キャッシュレスがすすんでいると言うことなんですね。
この旅行は、私にとって初めてのことだらけでしたが、半世紀近く生きていて、交通事故以外で被害者になったのは初めてです。
それまで、日本の地方都市でのんきに暮らしてきたと言うことなのでしょうね。
日本に帰って、母に話したら、母の妹は海外でフェラガモの財布をとられて盗難届に5万円ぐらいの財布だと書類に書いたら、旅行保険でカバーされたそうです。
私の財布は、使い古しの無印○品のもので購入時4000円くらいでした。私のはいった保険は、盗難は免責でした。(残念)
有名な時計店や宝飾店が並ぶ通りです。通りの反対側には有名なレストランマキシムも見えています。横断歩道を渡って通りの反対側もうろうろ歩いて、ちょっと小じゃれた食器屋さんなどを見て歩いていました。お店の中はそんなに混み合ってはいませんでした。
ぐるっと一回りしてタクシーを降りたケンゾーの店あたりに戻った頃、はっと気がつきました。ショルダーバックのファスナーが開いているのに。慌てて中身を確認。
やっぱりありません。カード2枚と日本円2万円と40EURがはいった古ぼけた私の財布が・・・・・。
やられました。タクシーを降りるときは財布を持っていましたから、その後バックのファスナーを閉め忘れたに違い有りません。
パリのすりに持って行かれちゃいました。このとき午後5時頃です。全く気がつきませんでした。
こうなるとカードの盗難届けをカード会社に出さなくてはなりません。公衆電話を探しましたがなかなかみつかりません。
近くにあるパリ三越の建物に入り、電話をかけました。
そして国際電話で盗難届けを出しました。電話で英語をしゃべるなんてどうしようもうどきどきもの。
でも日本の事務所に繋がったので日本語で対応して貰いました。
さいわい、念のためにとカードNO.とパスポートNO.を手帳にメモしておいたのが役に立ちました。
パスポートが盗まれたらもっと手続きが煩雑だった様で、財布だけだったのが不幸中のさいわいでした。
カードを2枚持っていたため、もう1件電話をかけるがなかなか繋がらない。公衆電話の傍の三越の店員さんに事情を話し、電話をかけて貰う。これもなかなか繋がらない。
結局トラブル対応をして下さるオフィスの日本人のところへいき、電話をかけて貰った。
やっと繋がって2枚目のカードをキャンセル。これで一安心。
警察に盗難届けを出すように勧められたが、外はもう暮ており安心したのかお腹もすいていたので、警察ではなくレストランを探すことにしました。
さいわい外貨は、娘と半分づつ持っており娘はまだ外貨を殆ど使っていなかったので食事するぐらいは十分持っていた。
トッテモお腹がすいていたので、イタリアンレストランでパスタを注文した。
パリには、観光客を狙ったすりが多いと聞いていたが、まさか自分が被害に遭うとは思っていなかった。
よっぽどお上りさんの東洋人に見えたんでしょうね。
現金2万円と40EURは、惜しいけれど仕方有りません。
自分のまぬけさをカバーするための授業料として諦めることにしました。
日本人で2万円ぐらいを財布に入れている人は主婦だって少なくないと思いますが、フランス人の平均所持金は10〜20EURというから2万円は140EUR以上ですから大金ですよね。
それだけここはカード社会。キャッシュレスがすすんでいると言うことなんですね。
この旅行は、私にとって初めてのことだらけでしたが、半世紀近く生きていて、交通事故以外で被害者になったのは初めてです。
それまで、日本の地方都市でのんきに暮らしてきたと言うことなのでしょうね。
日本に帰って、母に話したら、母の妹は海外でフェラガモの財布をとられて盗難届に5万円ぐらいの財布だと書類に書いたら、旅行保険でカバーされたそうです。
私の財布は、使い古しの無印○品のもので購入時4000円くらいでした。私のはいった保険は、盗難は免責でした。(残念)
いざ エッフェル塔へ登ろう!
2005年2月12日 旅行ルーブル美術館見学をほどほどにして、私たちはまた歩き始めた
今日は、土曜日フランス人たちも普段とは違う表情で公園を歩いていたりする。公園のカモやカモメたちはフランス語しか通じないだろうか。
セーヌ川のほとりを歩きながらオルセー美術館に向かっていたはずだが、くたびれて目的地変更。ナポレオンの墓所であるアンバリッド廃兵院に向かう。このころから小雨が降り出し、しょぼしょぼし出した。廃兵院の展示物は観ないで、次の目的地エッフェル塔へ向かった。
見えているのだから、たどり着けると変な自信を持っていたが、大きな建物の傍を歩いていると見えなくなる。
でも、なんとかたどり着く。
観光バスも周辺に止まっていて大勢の観光客が列を作って並んでいた。4本の足からエレベーターに乗って登るのだが結構列が長い。
ここでトイレ休憩。トイレの場所が分からず、今回の旅行に備えてタッタ一つ覚えたフランス語で「ウー・ソンレ・トワレト?」と聞いてみる。
2回ほど繰り返したら通じて場所を教えてくれた。
フランスの公衆トイレは殆どが有料。
ココで0.3EURを払ってトイレに行く。
洗面所で手を乾かすために置いてあるドライヤ=の下で濡れた髪を乾かしている若い子がいた。
なるほど!そう言う使い方もあったか!東洋人の多くて硬い髪は乾きそうにない(ため息)
大型エレベーターに乗って三つある展望台の一つへ行く。
360°の展望にため息。
さすがに風が強く、長い間外にいることは出来ない。
テイクアウトのお茶とスープ、フレンチフライで一息付く。
展望台の売店でお土産を物色。
エッフェル塔を模したピンバッチを購入。
ボタンを押すとエッフェル塔が点滅する。これは留守番している
娘達に。
パリはセーヌ川の川を挟んで開けた町。
ドコを眺めても、山らしいものが見あたらない。
唯一モンマルトルの丘が、すこし高いだけ。
こんな平たい町にこれだけ高い建物を造ったのだから、当時の人達はビックリしただろう。
町のどこから観ても、エッフェル塔が見える。
全くのおのぼりさん親子ふたり。
何を観ても初めての体験で一日中、ドキドキしている。
建物を観ても面白い。そこにいるフランス人や働いている人をみているだけでも日本では味わえない異国を体験できる。
エッフェル塔へ登った。ちょっと自慢できるかも。
日本の東京タワーには登ったことはないのに。(笑)
今日は、土曜日フランス人たちも普段とは違う表情で公園を歩いていたりする。公園のカモやカモメたちはフランス語しか通じないだろうか。
セーヌ川のほとりを歩きながらオルセー美術館に向かっていたはずだが、くたびれて目的地変更。ナポレオンの墓所であるアンバリッド廃兵院に向かう。このころから小雨が降り出し、しょぼしょぼし出した。廃兵院の展示物は観ないで、次の目的地エッフェル塔へ向かった。
見えているのだから、たどり着けると変な自信を持っていたが、大きな建物の傍を歩いていると見えなくなる。
でも、なんとかたどり着く。
観光バスも周辺に止まっていて大勢の観光客が列を作って並んでいた。4本の足からエレベーターに乗って登るのだが結構列が長い。
ここでトイレ休憩。トイレの場所が分からず、今回の旅行に備えてタッタ一つ覚えたフランス語で「ウー・ソンレ・トワレト?」と聞いてみる。
2回ほど繰り返したら通じて場所を教えてくれた。
フランスの公衆トイレは殆どが有料。
ココで0.3EURを払ってトイレに行く。
洗面所で手を乾かすために置いてあるドライヤ=の下で濡れた髪を乾かしている若い子がいた。
なるほど!そう言う使い方もあったか!東洋人の多くて硬い髪は乾きそうにない(ため息)
大型エレベーターに乗って三つある展望台の一つへ行く。
360°の展望にため息。
さすがに風が強く、長い間外にいることは出来ない。
テイクアウトのお茶とスープ、フレンチフライで一息付く。
展望台の売店でお土産を物色。
エッフェル塔を模したピンバッチを購入。
ボタンを押すとエッフェル塔が点滅する。これは留守番している
娘達に。
パリはセーヌ川の川を挟んで開けた町。
ドコを眺めても、山らしいものが見あたらない。
唯一モンマルトルの丘が、すこし高いだけ。
こんな平たい町にこれだけ高い建物を造ったのだから、当時の人達はビックリしただろう。
町のどこから観ても、エッフェル塔が見える。
全くのおのぼりさん親子ふたり。
何を観ても初めての体験で一日中、ドキドキしている。
建物を観ても面白い。そこにいるフランス人や働いている人をみているだけでも日本では味わえない異国を体験できる。
エッフェル塔へ登った。ちょっと自慢できるかも。
日本の東京タワーには登ったことはないのに。(笑)
モナリザに会いに行こう
2005年2月12日 旅行8時間の時差が有るので、わたしはもう午後の8時頃から眠たかった。
体内時計の赴くままに寝てしまったら、夜中3時頃に目が覚めて
トイレに行きたくなるのだった。でもマダマダ夜明けは遠い。
もう一度寝ようとチャレンジだが、すぐに目が覚める。
ええいままよと5時には起き出し、入浴する。
こんな時に、日本の温泉があれば朝湯が楽しめるのだが。
狭いバスルームのバスタブの中で全身を洗ってパリの人になる。
ホテルの朝ご飯は、一応アメリカンスタイルらしいのだが、安宿のせいかメニューにバリエーションがない。全てセルフサービス。学生食堂のようだ。
ショコラ、クロワッサン、チーズ、ハム、ヨーグルト、ジャム、カットフルーツ、ドライフルーツ、シリアル、ミルクなど。
ゆで卵がボールにいっぱい積んであったが、からを剥いてみると
氷っていた。仕方なくカップにお湯を入れて温めて頂く。
でもお腹がすいているのでしっかり食べる。
今日のメインイベントは、ルーブル美術館を見学することだ。
9時に開館する時間に併せて、ホテルを出発する。
9時5分ほど前に美術館に到着。団体らしいグループがすでに並んでいたが、それ程の人数ではない。
手荷物のチェックを受けて中に入る。
まずは初めに日本語のパンフレットを手に入れる。
これが無くては何も出来ない。
日本語の音声ガイドも有るらしいがそれはパスして、館内図を片手にサモトラケのニケを観て、ダビンチの描いたモナリザに会いに行こうと歩く歩く、ひたすら歩く。
ルーブル美術館でも「モナリザ」は集客力があるのだろう。
ひろーい館内の一番端に置かれていた。
朝が早かったお陰でそれ程人垣もない中でモナリザに逢えた。
ただ、イタリア絵画のスケールの大きな肖像画たちの中で、モナリザの絵はずいぶん小さくて、我が家のウサギ小屋にも飾れそうなサイズだった。
ダビンチの絵画は他にもあり、この美術館ではモナリザは地味な肖像画だった。
私としては、ヘレニズム時代の彫刻ニケのほうが迫力があり、その時代の名も無き芸術家の作品のほうが時代の流れを超えた力強さに感動していた。
そして、三つ目に観たのは(もっと沢山見てますが名前や時代が覚えられないので)フランス王ルイ15世が戴冠式にかぶったとされる王冠などを集めた宝飾品を展示した小さな部屋。
この王冠は、キャンデーのような大きさのルビーやサファイヤだ飾られデザイン的には、美しいとは言えなかったが、女性が身につけたおそろいのテイアラやチョーカーやイヤリングには素晴らしいものがたくさんあった。
ただし、この宝石類を身につけた女性はきっと肩こりに悩まされたであろう。それほど沢山の石がごろごろ付いているアクセサリーだから。
このあと、少し早めの昼食を取るべく館内のカフェでサンドイッチとコーヒーをいただく。
今日は土曜日と有って、フランス人の入場者も多くて人がだんだん増えてきた。チケットを買うために並んでいる人達をウオッチング。普通のフランス人のファッションや髪型を娘と楽しむ。
美術館に来ている人達がどんな服装なのかをチェック。
女性でもパンツスタイルが殆どで、スカートの人は目立つ。
膝丈くらいのスカートに低めのヒールのブーツがお洒落かな。
パンツも裾がすこし広がった短めのパンツが流行なのかな?
髪型は、ゴムで一つにポニーテイルにしている人が多い。
若い女性には長い髪の人もいるが、日本人のように凝った髪型にしている人は少ない。パーマもあまり見かけない。
天然のウエーブがほとんどだろう。
こういうところでは、東洋人の黒い髪と丸い顔低い鼻が目立つ。
中国人の旅行者も多い。ここに遊びに来ている中国人はきっとお金持ちなんだろうけど、ファッションは概していけてない。
ノーメイクでめがねをかけている若い子に何人も出会った。
日本人はコンタクトが普及してめがねをかけた女性は少なくなったからかな。
体内時計の赴くままに寝てしまったら、夜中3時頃に目が覚めて
トイレに行きたくなるのだった。でもマダマダ夜明けは遠い。
もう一度寝ようとチャレンジだが、すぐに目が覚める。
ええいままよと5時には起き出し、入浴する。
こんな時に、日本の温泉があれば朝湯が楽しめるのだが。
狭いバスルームのバスタブの中で全身を洗ってパリの人になる。
ホテルの朝ご飯は、一応アメリカンスタイルらしいのだが、安宿のせいかメニューにバリエーションがない。全てセルフサービス。学生食堂のようだ。
ショコラ、クロワッサン、チーズ、ハム、ヨーグルト、ジャム、カットフルーツ、ドライフルーツ、シリアル、ミルクなど。
ゆで卵がボールにいっぱい積んであったが、からを剥いてみると
氷っていた。仕方なくカップにお湯を入れて温めて頂く。
でもお腹がすいているのでしっかり食べる。
今日のメインイベントは、ルーブル美術館を見学することだ。
9時に開館する時間に併せて、ホテルを出発する。
9時5分ほど前に美術館に到着。団体らしいグループがすでに並んでいたが、それ程の人数ではない。
手荷物のチェックを受けて中に入る。
まずは初めに日本語のパンフレットを手に入れる。
これが無くては何も出来ない。
日本語の音声ガイドも有るらしいがそれはパスして、館内図を片手にサモトラケのニケを観て、ダビンチの描いたモナリザに会いに行こうと歩く歩く、ひたすら歩く。
ルーブル美術館でも「モナリザ」は集客力があるのだろう。
ひろーい館内の一番端に置かれていた。
朝が早かったお陰でそれ程人垣もない中でモナリザに逢えた。
ただ、イタリア絵画のスケールの大きな肖像画たちの中で、モナリザの絵はずいぶん小さくて、我が家のウサギ小屋にも飾れそうなサイズだった。
ダビンチの絵画は他にもあり、この美術館ではモナリザは地味な肖像画だった。
私としては、ヘレニズム時代の彫刻ニケのほうが迫力があり、その時代の名も無き芸術家の作品のほうが時代の流れを超えた力強さに感動していた。
そして、三つ目に観たのは(もっと沢山見てますが名前や時代が覚えられないので)フランス王ルイ15世が戴冠式にかぶったとされる王冠などを集めた宝飾品を展示した小さな部屋。
この王冠は、キャンデーのような大きさのルビーやサファイヤだ飾られデザイン的には、美しいとは言えなかったが、女性が身につけたおそろいのテイアラやチョーカーやイヤリングには素晴らしいものがたくさんあった。
ただし、この宝石類を身につけた女性はきっと肩こりに悩まされたであろう。それほど沢山の石がごろごろ付いているアクセサリーだから。
このあと、少し早めの昼食を取るべく館内のカフェでサンドイッチとコーヒーをいただく。
今日は土曜日と有って、フランス人の入場者も多くて人がだんだん増えてきた。チケットを買うために並んでいる人達をウオッチング。普通のフランス人のファッションや髪型を娘と楽しむ。
美術館に来ている人達がどんな服装なのかをチェック。
女性でもパンツスタイルが殆どで、スカートの人は目立つ。
膝丈くらいのスカートに低めのヒールのブーツがお洒落かな。
パンツも裾がすこし広がった短めのパンツが流行なのかな?
髪型は、ゴムで一つにポニーテイルにしている人が多い。
若い女性には長い髪の人もいるが、日本人のように凝った髪型にしている人は少ない。パーマもあまり見かけない。
天然のウエーブがほとんどだろう。
こういうところでは、東洋人の黒い髪と丸い顔低い鼻が目立つ。
中国人の旅行者も多い。ここに遊びに来ている中国人はきっとお金持ちなんだろうけど、ファッションは概していけてない。
ノーメイクでめがねをかけている若い子に何人も出会った。
日本人はコンタクトが普及してめがねをかけた女性は少なくなったからかな。
お腹がいっぱいになったところで、午後の観光を始める。
娘と二人旅で、この娘が成り行き任せを好むので午後も「もう1カ所回ろうかなあ」って感じでフランス大好きおばあさんのお薦め「サント・シャペル」教会へ向かってセーヌ川沿いを歩く。
ところが降りた地下鉄の駅から逆方向へ歩いたらしく、5分ほど歩いても川が見えない。これは違う方向に歩いているに違いないと若いフランス人の女性に英語で地図を見ながら訪ねる。
やっぱり間違ってました。
娘の英語力は、中学生が習う程度ですが、2年前一人でメキシコとカナダを旅行したことがあり度胸だけはあるらしい。
まあ、若い女性を選んで聞いた辺り一応人選はしてるのかな?
セーヌ川沿いに立ち並ぶ大きな建物を見るだけでも、狭い日本しかしらない私はもう胸がいっぱい。
観光客らしい人の流れをみつけて、フランス革命時、かのマリーアントワネットが収監されていたという「コンシェリジュリ」と「サント・シャペル教会」にたどりつく。
すでに時間は4時を過ぎていた。
両方を見学できると思っていたら、コンシェリジュリは、もう閉館だと断られ、教会だけを見学。
この教会は、貴族達の専用教会でステンドグラスがとても綺麗なことで有名だそうだ。本当に素晴らしかった。
本当に小さな教会だったが、その贅沢なステンドグラスにうっとりする。
教会内に各国語で書かれた案内板があり、もちろん日本語も有ってビックリ。入り口でお兄さんに日本語で「こんにちわ」と声もかけられたし、日本人の観光客ってとても多いのだろう。
サクレ・クール寺院のちかくでは、「アンニョンハセヨ」と声をかけられた。東洋人を見かけたら、「コンニチワ」カ「アンニョンハセヨ」カ「ニイハオ」と適当に声をかけているのだろう。
日本人は、知らない人にいきなり「こんにちわ」と声をかけられるのに慣れていないから驚いてしまう。
日本だと宗教の勧誘か高い化粧品のキャッチセールスぐらいだものね。まあ、ドコの国ににもキャッチセールスはいるって事でしょう。
シテ島をあるいて、超有名なノートルダム寺院へ向かう。
地図を見ながら歩く。1キロも歩かないで「ノートルダム寺院」に到着。
建物の大きさとデザインの奇抜さに驚く。
そして、この建物が170年もかかって造られたことに再度驚愕。
この大きな教会を造るのに一体どれだけの労働者が働き、命を落としたり傷ついた事だろう。日本の東大寺の建立に思いを馳せる。
体育館のような広さの教会でもうすぐ夕べのミサが始まろうとしていたので大勢の外国人に混じって参加する。
小学生ぐらいの年齢の子供達の聖歌隊が登場して、賛美歌を歌ってくれた。ここはカトリックの教会だからだろう、知っているようなメロデイーは聞こえてこなかった。
ミサが終わって外に出るともう日は暮れていて、沢山の街灯にあかりがともり、またセーヌのほとりも表情が変わった。
娘と二人旅で、この娘が成り行き任せを好むので午後も「もう1カ所回ろうかなあ」って感じでフランス大好きおばあさんのお薦め「サント・シャペル」教会へ向かってセーヌ川沿いを歩く。
ところが降りた地下鉄の駅から逆方向へ歩いたらしく、5分ほど歩いても川が見えない。これは違う方向に歩いているに違いないと若いフランス人の女性に英語で地図を見ながら訪ねる。
やっぱり間違ってました。
娘の英語力は、中学生が習う程度ですが、2年前一人でメキシコとカナダを旅行したことがあり度胸だけはあるらしい。
まあ、若い女性を選んで聞いた辺り一応人選はしてるのかな?
セーヌ川沿いに立ち並ぶ大きな建物を見るだけでも、狭い日本しかしらない私はもう胸がいっぱい。
観光客らしい人の流れをみつけて、フランス革命時、かのマリーアントワネットが収監されていたという「コンシェリジュリ」と「サント・シャペル教会」にたどりつく。
すでに時間は4時を過ぎていた。
両方を見学できると思っていたら、コンシェリジュリは、もう閉館だと断られ、教会だけを見学。
この教会は、貴族達の専用教会でステンドグラスがとても綺麗なことで有名だそうだ。本当に素晴らしかった。
本当に小さな教会だったが、その贅沢なステンドグラスにうっとりする。
教会内に各国語で書かれた案内板があり、もちろん日本語も有ってビックリ。入り口でお兄さんに日本語で「こんにちわ」と声もかけられたし、日本人の観光客ってとても多いのだろう。
サクレ・クール寺院のちかくでは、「アンニョンハセヨ」と声をかけられた。東洋人を見かけたら、「コンニチワ」カ「アンニョンハセヨ」カ「ニイハオ」と適当に声をかけているのだろう。
日本人は、知らない人にいきなり「こんにちわ」と声をかけられるのに慣れていないから驚いてしまう。
日本だと宗教の勧誘か高い化粧品のキャッチセールスぐらいだものね。まあ、ドコの国ににもキャッチセールスはいるって事でしょう。
シテ島をあるいて、超有名なノートルダム寺院へ向かう。
地図を見ながら歩く。1キロも歩かないで「ノートルダム寺院」に到着。
建物の大きさとデザインの奇抜さに驚く。
そして、この建物が170年もかかって造られたことに再度驚愕。
この大きな教会を造るのに一体どれだけの労働者が働き、命を落としたり傷ついた事だろう。日本の東大寺の建立に思いを馳せる。
体育館のような広さの教会でもうすぐ夕べのミサが始まろうとしていたので大勢の外国人に混じって参加する。
小学生ぐらいの年齢の子供達の聖歌隊が登場して、賛美歌を歌ってくれた。ここはカトリックの教会だからだろう、知っているようなメロデイーは聞こえてこなかった。
ミサが終わって外に出るともう日は暮れていて、沢山の街灯にあかりがともり、またセーヌのほとりも表情が変わった。
半日観光ツアーが、この旅行にはついていたので、二人で地下鉄に乗って待ち合わせ場所のパリLOOKの前に出掛ける。
時間より早く着いたので、早朝のオペラ地区をうろうろ。
まだ早いのでカフェも空いていない。
路をドンドン歩いていると小さな教会に行き当たる。
教会はいつでも入場無料だから、勝手に入って勝手に拝ませていただく? 祈りを捧げなくちゃいけないのだが私はクリスチャンじゃないし。
パリLOOK前には沢山の日本人が集まっていて、日本人のガイドさんに点呼されて2台のバスに詰め込まれる。
それからが、ガイドさんの本領発揮。
パリの案内だけならおとなしく聞いていられるのだが、パリの犯罪事情や、習慣について長々と聞かされる。
それと、他のオプショナルツアーの売り込みに必死なのだ。
それは、空港からホテルへ連れて行ってくれてガイドさんも一緒だった。「クロワッサンさんはパリは何度目ですか?」と聞かれた。私たちが全くオプショナルツアーを申し込んでいなかったからだとあとで気が付いた。
バスをモンマルトルの丘の近くで降りてサクレクール寺院を見学
ここでもガイドさんの説明が諄くて閉口。
サクレクール寺院からのパリの景色を30分ほど楽しむ。
この辺りは、昔から画家たちが集まる地域らしく似顔絵描きのおじさん達が寄ってきて、「コンニチワ」と話しかけてくる。
そこで覚え立てのフランス語で「NON MERCI」と断り続ける。
土産物屋さんでフランスパンの形をしたボールペンを見つけた。
買いたかったが時間が無くて断念。
欲しかったなあ。(このころはまだ1ユーロが140円ぐらいと言うのが頭に入っていなくて高いのか安いのか分からない。)
車の中からオペラ座やシャンゼリゼ通りや凱旋門を眺めるがあっという間に行きすぎるので印象が薄くてつまらない。
エッフェル塔がよく見える場所で記念撮影。
なんだかんだとガイドさんのお喋りを聞いている内に時間なり、バスを降りて高島屋の店内に案内される。うっそ〜!!!
そこで土産物を売っている端っこのコーナーに案内されてまたセールスをきくはめに。
やっと開放されて店内のトイレに行く。
デパートのトイレは、無料で安全だからという理由で。
娘は、ツアーのあまりにもお節介すぎるガイドの説明にうんざりし、セールストークにげんなりし、「もう絶対ツアーなんかいらんわ」と言い出す始末。
私は、彼女にどれだけ行動力があるのかこの時点では分かっていなかったのだが、せっかく二人で来ているのだし娘の意見を尊重することにした。
もう時間はすでに1時をかなり回っていたのでランチをすることに。裏通りで11ユーロと書いてある看板を見つけて入ることにする。
メニューはフランス語しか書いていなかったが、11EURと14EURと書いてある、お徳用メニューを見つけて、娘は前菜と
魚の料理を、私はハンバーグとヨーグルトのデザートを注文。
(実は本当は何が出てくるか?だった。魚か肉かの区別しか私の
フランス語読解能力はナイのだった。)
でも何とか出された料理を見て安心する。
但し、付け合わせのフレンチフライの量の多さにビックリ。
パンが無くてもお腹がいっぱいになるぐらいだ。
でもココでは、二人とも完食。
14EURの前菜とメインとデザートの三皿にしていたら食べ残していただろう。
時間より早く着いたので、早朝のオペラ地区をうろうろ。
まだ早いのでカフェも空いていない。
路をドンドン歩いていると小さな教会に行き当たる。
教会はいつでも入場無料だから、勝手に入って勝手に拝ませていただく? 祈りを捧げなくちゃいけないのだが私はクリスチャンじゃないし。
パリLOOK前には沢山の日本人が集まっていて、日本人のガイドさんに点呼されて2台のバスに詰め込まれる。
それからが、ガイドさんの本領発揮。
パリの案内だけならおとなしく聞いていられるのだが、パリの犯罪事情や、習慣について長々と聞かされる。
それと、他のオプショナルツアーの売り込みに必死なのだ。
それは、空港からホテルへ連れて行ってくれてガイドさんも一緒だった。「クロワッサンさんはパリは何度目ですか?」と聞かれた。私たちが全くオプショナルツアーを申し込んでいなかったからだとあとで気が付いた。
バスをモンマルトルの丘の近くで降りてサクレクール寺院を見学
ここでもガイドさんの説明が諄くて閉口。
サクレクール寺院からのパリの景色を30分ほど楽しむ。
この辺りは、昔から画家たちが集まる地域らしく似顔絵描きのおじさん達が寄ってきて、「コンニチワ」と話しかけてくる。
そこで覚え立てのフランス語で「NON MERCI」と断り続ける。
土産物屋さんでフランスパンの形をしたボールペンを見つけた。
買いたかったが時間が無くて断念。
欲しかったなあ。(このころはまだ1ユーロが140円ぐらいと言うのが頭に入っていなくて高いのか安いのか分からない。)
車の中からオペラ座やシャンゼリゼ通りや凱旋門を眺めるがあっという間に行きすぎるので印象が薄くてつまらない。
エッフェル塔がよく見える場所で記念撮影。
なんだかんだとガイドさんのお喋りを聞いている内に時間なり、バスを降りて高島屋の店内に案内される。うっそ〜!!!
そこで土産物を売っている端っこのコーナーに案内されてまたセールスをきくはめに。
やっと開放されて店内のトイレに行く。
デパートのトイレは、無料で安全だからという理由で。
娘は、ツアーのあまりにもお節介すぎるガイドの説明にうんざりし、セールストークにげんなりし、「もう絶対ツアーなんかいらんわ」と言い出す始末。
私は、彼女にどれだけ行動力があるのかこの時点では分かっていなかったのだが、せっかく二人で来ているのだし娘の意見を尊重することにした。
もう時間はすでに1時をかなり回っていたのでランチをすることに。裏通りで11ユーロと書いてある看板を見つけて入ることにする。
メニューはフランス語しか書いていなかったが、11EURと14EURと書いてある、お徳用メニューを見つけて、娘は前菜と
魚の料理を、私はハンバーグとヨーグルトのデザートを注文。
(実は本当は何が出てくるか?だった。魚か肉かの区別しか私の
フランス語読解能力はナイのだった。)
でも何とか出された料理を見て安心する。
但し、付け合わせのフレンチフライの量の多さにビックリ。
パンが無くてもお腹がいっぱいになるぐらいだ。
でもココでは、二人とも完食。
14EURの前菜とメインとデザートの三皿にしていたら食べ残していただろう。
シャルルドゴール空港から、現地ガイドのバスで4泊滞在するホテルに直行。
私たちは、一番安いホテルを予約したのでパリ市街地からはかなり離れた地下鉄7号線から徒歩5分の宿に到着。
機内食でお腹がいっぱいの私たちは、隣のスーパーで水とジュースを買ってベッドにバタンキュウ。
だって今日は一日が32時間有ったのだから。
早く寝て明日の半日観光ツアーに備えようとしたのだった。
私たちは、一番安いホテルを予約したのでパリ市街地からはかなり離れた地下鉄7号線から徒歩5分の宿に到着。
機内食でお腹がいっぱいの私たちは、隣のスーパーで水とジュースを買ってベッドにバタンキュウ。
だって今日は一日が32時間有ったのだから。
早く寝て明日の半日観光ツアーに備えようとしたのだった。
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パリの休日6日のはじまり
2005年2月10日 旅行つい、一ヶ月ほど前に思いついて久し振りの海外旅行をすることになった。一緒に行くことになったのは大学生の娘?
最初は彼女が大学生の間に海外旅行をするのを勧めていたのだが、ついでに私も休みを取って同行することにした。
と言っても忙しい大学生に代わって旅行のプランや手続きをしたのは私だ。
2月の祭日と連休を利用したため、準備期間が少なく本当に忙しい1ヶ月でした。まずパスポートが切れていた私はパスポートの申請からしなくてはなりません。
行き先のパリはここK市より寒いようなので、ババシャツやカイロを買い込み、真っ赤な小ぶりのスーツケースに詰め込みいざ出発。
でもここから関西空港迄は市内中央の○宮からリムジンバスに乗らなくてはならない。
遅めの通勤時間にスーツケースを持って乗るのは少々気が引けるが二人で乗り込む。リムジンバスの乗り場には関西空港へ行く日本人が結構並んでいた。
関西空港を利用するのは実は3度目の私。
8年前、まだ中学生だった長女たちを連れてシンガポール、マレーシアを訪れて以来だ。
今回は、時間的にも余裕があり連れが21才の長女だけだったのでのんびり関西空港を散策する時間があった。
とにかく自分だけに使える24時間の始まり。
日常の時間を走り続けてやっとエアフランスの機上の人となった。
最初は彼女が大学生の間に海外旅行をするのを勧めていたのだが、ついでに私も休みを取って同行することにした。
と言っても忙しい大学生に代わって旅行のプランや手続きをしたのは私だ。
2月の祭日と連休を利用したため、準備期間が少なく本当に忙しい1ヶ月でした。まずパスポートが切れていた私はパスポートの申請からしなくてはなりません。
行き先のパリはここK市より寒いようなので、ババシャツやカイロを買い込み、真っ赤な小ぶりのスーツケースに詰め込みいざ出発。
でもここから関西空港迄は市内中央の○宮からリムジンバスに乗らなくてはならない。
遅めの通勤時間にスーツケースを持って乗るのは少々気が引けるが二人で乗り込む。リムジンバスの乗り場には関西空港へ行く日本人が結構並んでいた。
関西空港を利用するのは実は3度目の私。
8年前、まだ中学生だった長女たちを連れてシンガポール、マレーシアを訪れて以来だ。
今回は、時間的にも余裕があり連れが21才の長女だけだったのでのんびり関西空港を散策する時間があった。
とにかく自分だけに使える24時間の始まり。
日常の時間を走り続けてやっとエアフランスの機上の人となった。
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今日は、高校の同級生5人が集まってランチすることになった。
以前から、話は有ったのだがそれぞれの子どもが、高校や大学の受験で落ち着かなかったので、6月になってやっと会うことになった。
5人で待ち合わせて、イタリアンレストランへ。
子どもたちの話題になり、「最近の修学旅行は、TDLだったり、沖縄だったりと豪華よね」と話していると「私たちの時は信州だったよね。」と青春時代へプレイバック。
と突然私の大失敗の話になった。
実は、私は修学旅行の集合時間に大幅に遅刻し、ぎりぎりで到着した快速電車から、となりのホームの団体専用列車に飛び乗った
経験が有るのだ。
当の本人は、もう30年前の出来事ゆえすっかり忘れている。
なのに、同級生が集まるとこの話が出ちゃう。
ホントは忘れてしまいたい過去なんだけど・・・。
私は、遅刻の常習者ではなかった。
その頃、脱サラして仕事をしていた父の仕事を母が手伝っていて、前日やっと一段落付いてみんなほっとしていて
わたしの修学旅行どころではなかったのだ。
私が、起きたときにはもう電車に乗る時刻をとっくに過ぎていて
慌てて父親と荷物を持ってとびだした。
そして、時刻表片手に集合場所の○○駅に快速電車で向かう。
その電車が、駅に着いた3分後ぐらいに団体専用列車が出発するのが分かって、ホームに到着するなり階段を駆け下り、隣のホームへ駆け上がった。
このとき父も一緒だったのだけど、父は運動を全くしない人で
通勤電車にも走って乗るような人ではなかった。
その父が私のために走ってくれた。
私が列車に乗ってすぐ列車は発車。
間に合ったとたん緊張が解けて大泣きした17歳の私。
みーんな知ってるのよ。
「修学旅行に遅刻したクロワッサン」て。
私は、めでたく修学旅行に間に合ったのだけど、
その後、駅の構内に戻った父は、大きな○阪駅構内に響き渡る
「XX高校のクロワッサンすぐに中央コンコースにお越し下さい」というアナウンスにびっくりしたそうです。
慌てて集合場所に向かうと普段はちょっと酒気帯びの赤ら顔の体育の先生が青い顔をして待っていたそうです。
父はどんなお詫びを先生にしたのかききませんでしたが・・・。
その列車に間に合わなかった場合、新幹線で名○屋駅まで追いかける手はずもしていたそうです。
きっと、自宅の母親の所には電話で何回も呼び出しが有ったことでしょう。
ホントこんな生徒は滅多いないと思います。
何しろ、地元では有名な進学校なんですから。
今では、携帯電話が普及しているから、こんな心配は先生にも友達にも掛けずにすんだと思いますが。
ああ恥ずかしい(^_^;)
子どもたちには、絶対教えたくない私の恥ずかしい過去でした。
以前から、話は有ったのだがそれぞれの子どもが、高校や大学の受験で落ち着かなかったので、6月になってやっと会うことになった。
5人で待ち合わせて、イタリアンレストランへ。
子どもたちの話題になり、「最近の修学旅行は、TDLだったり、沖縄だったりと豪華よね」と話していると「私たちの時は信州だったよね。」と青春時代へプレイバック。
と突然私の大失敗の話になった。
実は、私は修学旅行の集合時間に大幅に遅刻し、ぎりぎりで到着した快速電車から、となりのホームの団体専用列車に飛び乗った
経験が有るのだ。
当の本人は、もう30年前の出来事ゆえすっかり忘れている。
なのに、同級生が集まるとこの話が出ちゃう。
ホントは忘れてしまいたい過去なんだけど・・・。
私は、遅刻の常習者ではなかった。
その頃、脱サラして仕事をしていた父の仕事を母が手伝っていて、前日やっと一段落付いてみんなほっとしていて
わたしの修学旅行どころではなかったのだ。
私が、起きたときにはもう電車に乗る時刻をとっくに過ぎていて
慌てて父親と荷物を持ってとびだした。
そして、時刻表片手に集合場所の○○駅に快速電車で向かう。
その電車が、駅に着いた3分後ぐらいに団体専用列車が出発するのが分かって、ホームに到着するなり階段を駆け下り、隣のホームへ駆け上がった。
このとき父も一緒だったのだけど、父は運動を全くしない人で
通勤電車にも走って乗るような人ではなかった。
その父が私のために走ってくれた。
私が列車に乗ってすぐ列車は発車。
間に合ったとたん緊張が解けて大泣きした17歳の私。
みーんな知ってるのよ。
「修学旅行に遅刻したクロワッサン」て。
私は、めでたく修学旅行に間に合ったのだけど、
その後、駅の構内に戻った父は、大きな○阪駅構内に響き渡る
「XX高校のクロワッサンすぐに中央コンコースにお越し下さい」というアナウンスにびっくりしたそうです。
慌てて集合場所に向かうと普段はちょっと酒気帯びの赤ら顔の体育の先生が青い顔をして待っていたそうです。
父はどんなお詫びを先生にしたのかききませんでしたが・・・。
その列車に間に合わなかった場合、新幹線で名○屋駅まで追いかける手はずもしていたそうです。
きっと、自宅の母親の所には電話で何回も呼び出しが有ったことでしょう。
ホントこんな生徒は滅多いないと思います。
何しろ、地元では有名な進学校なんですから。
今では、携帯電話が普及しているから、こんな心配は先生にも友達にも掛けずにすんだと思いますが。
ああ恥ずかしい(^_^;)
子どもたちには、絶対教えたくない私の恥ずかしい過去でした。
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